「騒音おばさん」のことを覚えていますか?
「ひっこし・・ひっこし・・さっさと引っ越し・・」と布団を叩きながら大声で叫ぶ姿がマスコミの格好の餌食になり、不必要な報道合戦が加熱し、あの人だけが悪者のように偏向報道をされたあのニュースです。
結局、後にあの事件を振り返ったときに、「報道されていたことが事実だったのか??」という疑問が残るとても後味の悪い事件でした。
私は当事者ではないので、断定的なことを言うつもりもありませんが、あの「騒音おばさん」の報道にしても、少なくとも報道する上では平等の立場で行って頂かないと、報道機関が偏向記事で事件をおもしろおかしくミスリードしてしまう愚を何度も見聞きしてきました。
思うに、「ペンは武器である」という言葉の怖さを感じずにはいられない今日この頃・・気になるニュースがありました。
終わらない偏向報道の愚
毎日新聞の報道によると「神戸市東灘区の保育園を巡り、近くに住む70代男性が「子供の声がうるさい」として、運営する岡山県津山市の社会福祉法人を相手取り、防音設備設置や慰謝料100万円の支払いを求める訴えを神戸地裁に起こした」としてニュースにしています。
この件を「サンデー毎日」という週刊誌でも触れていますが、そのタイトルが「神戸「子どもの声は騒音」70代翁が起こした”仰天裁判”」となっています。
まず、「仰天裁判」っていう言葉をタイトルで使うことで、この記事を書いた人の意識が「こんな裁判はけしからん」という心理が現れています。
また、「仰天裁判」と言っているのだから、この問題では、すでに裁判で争っているということですね。
なぜ、保育園に静かにしてほしいという裁判を起こすことが「仰天裁判」になるのでしょうか?
記事の内容も、明らかに保育園の代弁者・・いや・・それ以上に、「裁判を起こした人がおかしな人である」と暗に示唆しているような内容になっています。
こういう既に裁判で現実に争われている問題を、報道機関がおもしろおかしく取り上げるのは慎むべきでしょうし、どうしても報道を行う必要性があると考えたにしても、報道機関に求められるのは記者の偏った意見ではなく、もっと平等で客観的な内容のみを記事にすべきです。
正直、報道機関の役割と怖さを考えさせられました。
報道機関の皆さまには、もっと平等でフラットな事実のみを記事にして「マスゴミ」と悪口を言われないようにして頑張ってほしいと願います。
今日はこれに関して少々思うところを・・・
実は、
私も近所・・といっても100mほど離れているのですが・・・とにかくその保育園からの騒音に悩まされています。
当事務所から約100mほど離れたところにある保育園の騒音を、当事務所の中で録画して、YOUTUBE で公開するつもりでしたが、さすがにちょっと問題があるような無いような・・(笑)・・なので公開はやめました。
ということで、動画は公開しませんが、毎年この時期になると保育園が運動会の練習を行っているのですが・・・
それが、毎日毎日・・今日が本番なのか??・・と思えるほど大音量で曲を流したり、太鼓を叩いたり、笛を吹いたり、保育園の先生が拡声器で大声で発したり・・・とにかくやかましい。
まぁ、窓を閉め切れば随分と音も小さくなるのですが、せっかく秋の気持ちの良い風が吹く中でも、窓を締め切らなければ五月蠅いという無念さといったら・・・
それでも、仕事に集中していると周りの騒音も消えるので、気にはならなくなるのですが・・・
困るのは、事務所に誰かが訪問されている時です。 冗談ではなく、時に依頼者や相談者の話す声が保育園の騒音で聞こえないことがあるのです。
もっとも、だからといって邪魔くさいから「五月蠅い」と保育園には言いませんが・・・
とにかく五月蠅いもんは、何の音でもうるさいんですよ。
文句を言わないのは、別に「保育園」だからとかじゃないんです。
結局のところ、「うるさい」と保育園に言うことの精神的なしんどさと、「我慢する」という精神的なしんどさを天秤にかけたときに、まだ「うるさい」と保育園に言いに行く方がしんどいという判断から言いに行かないだけのことで、この天秤がどちらに振れるのかは人によって変わりますし、「うるさい」のに辛抱できなくてもそれはそれで仕方がないことです。
ちょっと話がずれましたね(笑)
いずれにしても、五月蠅く感じる人には、どんな音であっても、五月蠅いのであり、それについて不用意に周りがとやかく言うようなことではありませんし、少なくとも報道が「五月蠅いと言っている人をクレーマー」のような扱いはするべきではありません。
まぁ・・この問題は、関係の無いものが好き勝手なことをいわずに、裁判の中で白黒つければ良いだけのことですが、個人的にもどういう判断がくだされるのかには興味があります。
何にしても、報道が行う、全ての人に「保育園だから」「子どもの声だから」我慢すべきだという論調には辟易としますし、報道の影響力を自覚して謙虚であってほしいと願います。
とは言うものの・・・
人様に偉そうなことを言う前に、まずは自分自身が、司法書士として何かの依頼を受けたときに、自分の偏った考え方でミスリードしていないかを客観的に考えて、依頼者様へ迷惑をかけないようにしなければいけないと反省しました。
よし!
今日も頑張ろう!
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今日の一曲
誰かの願いが叶うころ、誰かの願いは叶わない・・中々奥の深いお話です。
宇多田ヒカル – 誰かの願いが叶うころ
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