報道によると、
末期がんで余命半年と宣告され、安楽死を予告していた米国人女性のブリタニー・メイナードさん(29)が1日、予告通りに自ら死を選んだ。
と報道されましたね。
まぁ、間違い無く人はいつか死にます。
今日は、
「死に方」
について少し考えてみたいと思います。
尊厳死
「尊厳死」と言うと、
何やら「死を選択したことが尊くて、潔ぎよい」ことのように思わないでもありません。
尊厳死を選択する理由として、
「あと半年の命だと宣告された」
「綺麗な内に行きたい・・悪戯に苦しみたくない」
「無駄な治療で家族に迷惑をかけたくない」
「自分の苦しむ姿を家族にみせたくない」
など人それぞれに理由があるのでしょう。
しかし、
尊厳死も自死(自殺)であることには変わりはないはずです。
そうであるなら、
この「尊厳死で自ら命を絶つ行為」と、
例えば、
「借金苦などで、富士の樹海で首をつる行為」
との違いとは何なのでしょうか?
もちろん、表面的なところでの違いはわかりますが、
ん・・・
借金苦などで自死を選択することは、逃げるための手段であったり、生きていることがつらくて嫌になり死を選択する・・
それに対して、尊厳死はどうなんでしょう?
逃げることができない死を受け入れ、生きるために死を選択するのか?
でも、人は必ずいつか死ぬわけで・・・
例えば、
目の前に死神が現れて、
「おまえは、明日の10時に、必ず死ぬ」
と言われたからといって、それ以前に自ら死を選択するのでしょうか??
ん・・・なんだかな・・・
理由を突き詰めて考えるば考えるほどに、
私にはそれほど明確に区別することができなくなります。
残された家族にとってはどうでしょうか?
尊厳死といわゆる自死(自殺)と、違う意味をもつのでしょうか?
延命を望まないこと
さて・・
日本では、アメリカのブリタニー・メイナードさんのように、医者に死ぬための薬を処方してもらうことはできません。
しかし、
延命治療を受けないことを選択することはできます。
それでは、
「尊厳死を選択する意思表示」
と
「延命を望まないことの意思表示」
とは、違うのでしょうか?
私はこの二つには、天と地ほどの差がある(どちらが天で、どちらが地なのかというどうでもよい話はちょっと置いといて・・)と思います。
「延命を望まない」ということは、
「延命治療を受けたくない」という意思表示であり、ひいては受動的に死ぬことを受け入れる
ということであって、
尊厳死を選択するというように、能動的に死ぬことを望むものとは
一線を引くべきだと考えています。
まぁ、だから尊厳死は駄目だ!とも思わない自分がいるのですが・・・
結論
あぁ・・今日の話に結論はありません。
ただ・・不治の病と診断されて、余命宣告されたとしたら、自分ならどうするだろうか?
と考えただけです。
さて・・皆さまならどうされますか?
そして、皆さまの家族が余命宣告され、「尊厳死を選択したい」と言われたときにどうするのか?
アメリカのブリタニー・メイナードさんの報道を聞いてちょっと考えてみました。
私ですか?
正直な話では、その時になってみないとわからない・・としか言いようがないですが、
今の時点では、
尊厳死は選択しません。
ただ・・
延命治療はお断りしますけどね。
さて!
それでは、いつか死にゆくその日まで、
今日も元気に働きましょう♪
最後になりましたが、
今回、死について考えるきっかけを与えてくれた
ブリタニー・メイナードさんのご冥福をお祈りします。
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今日の一言
「朝露の、雫ひととき、我が命」
今日の一曲
Flyleaf – All Around Me
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