ある問題に対して答えを探そうとしてみると、
あちらでは「これはAである」
と言われ・・
こちらでは「これはBである」
と言われ・・
ちょっと横を見ると
「これはAでもあるが、Bでもある」
と言われ・・
後ろをみれば
「これはCだよ」
という人もいる。
真実とは?
情報があふれている現代では、
時に何が真実であるのかを見失い選択に困ることがありますね。
想いで
こんな経験をしたことがあると思います。
その昔・・学生の頃のお話・・
例えば、夕食の後にテレビを見ていて
「そろそろ、自分の部屋にいって、勉強でもしようかな・・」
と思い、
「よっこらしょ」
と立ち上がろうとした瞬間に、
親から
「何時までも、テレビばかり見ていないで勉強しなさい」
と言われたことは無いでしょうか?
そうすると・・どうなるのかと言いますと、
とたんに「勉強をしよう」という気持ちが失せるわけです。
これは何故かと言うと、
自分で進んで「勉強しよう」とする自由を、
親の言葉で奪われたと感じるからです。
その結果、
今度は、「勉強しない自由」を選択することで
奪われた自由を取り戻した気分になる・・・
指示的アプローチ
このような
「何々をしなさい」
とか
「〇〇でいいでしょうか?」
というような言い方を
「指示的アプローチ」と言います。
この指示的アプローチで尋ねた場合、
尋ねられた人から、明快な回答がえられることが期待できる反面、
「相手に誘導された」
「命令された」
という反発をくらうこともあります。
この指示的アプローチと逆のアプローチのやり方を・・
非指示的アプローチ
と言います。
非指示的アプローチで尋ねる場合の言い方としては
「どうしましょうか?」
という言い方をするのですが、
この場合、
言われた側には「命令された」とか「誘導された」というネガティブな感情は生まれませんが、
尋ね方が漠然としすぎて・・・
明確な答えが期待できないことが考えられます。
指示的アプローチの使い方
そこで・・この両者の良いところを掛け合わせて尋ねる方法があります。
たんに
「どちらにしますか?」
というふうに、二者択一で尋ねることです。
つまり
「〇と△のどちらにしますか?」
と尋ねることで、尋ねられた相手方は、
「自分で選択した」
ことになるので、反発を食らわない。
また、こういう尋ね方の方が、
「どうしましょうか?」
と尋ねるよりも親切に感じるという効果も期待できます。
え・・と言うわけで・・
あなたの
お困りごとの相談日時の打ち合わせについて
「あなたからお電話頂けますか?」
それとも
「私の方からお電話しましょうか?」
どちらになさいます? (笑)
そうそう・・勉強の話ですが、
よくよく思いだしてみると・・
そのときに本当に勉強をしようとしていたか否かは・・ちょっと怪しくて・・親から言われようと言われまいと勉強をしたかどうかは非常に怪しいものだったと思います(>_<)
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「十三夜、下駄を蹴りあげ、迷い道」
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