「鋼の錬金術師」という漫画がありまして・・・
題名のとおり、そのお話の中で「錬金術」が使われます。
錬金術には、等価交換の法則
というものがあります。
この「等価交換」は、錬金術における最も根本的な原理とされ、
<この意味を簡単に言うと
「無から有は作れない(何かを得るには同等の代価が必要)」
と表現されています。
等価交換
さて・・
この等価交換ですが、まぁ・・たしかにこれは現実世界でも普通にある話です。
等価交換の
「無から有は作れない(何かを得るには同等の代価が必要)」
を、言い換えれば、
何かを得る為には何かを犠牲にしなければならない
とも考えられる訳で・・・
たしかに、私たちは何かを得るために何かを犠牲にしています。
その犠牲にしているのもとは何でしょうか?
誰もが共通しているもの
この世に生きる全ての人が平等に与えられ平等に消費しているものの一つに「時間」があります。
何かをするときに、それに費やしたものと同等の時間を使います。
時間は無限か
おそらく、絶対的な観念でいえば時間は無限なのでしょうが、私たち個々の人間が使える時間には限りがあります。
勿論、その人その人で使える時間の長短はあるにしても、一人の人間に与えられた時間には限りがあることを疑う余地はないでしょう。
つまり、
人は何をするにせよ、それに費やしたものと同じだけの時間を犠牲にしている
と考えることができるのではないでしょうか?
時間を犠牲に何を得るのか?
まさに・・・
こうしている間にも、私もあなたも限りある時間を消費しています。
等価交換と時間を考えた時、私はひとつの間違いに気付きました。
人が何かを成すときに、失う時間は皆が等しく同じものですが、それによって得るものはその人によって全く違う
ということです。
つまり
同じ時間を消費しても、その人が得るものには大きな違いが生じている
ということです。
同じ時間を消費しながら、その対価が貴重な時間と同程度のものだったのか?
それとも
到底、消費した時間と比べて得た物が小さかったのか?
はたまた、
消費した時間以上のものを得ることができたのか?
さて
「泣いて暮らすも一生」
なら
「笑って暮らすも一生」・・・
同じ時を消費して生きて行くときに、それをどのように使い、どれだけ有意義なものにできるかは、自分の心がけしだいで180度変わります。
と・・言う訳で・・
今日も自分の時間を生きるために、大切に働きたいと思います。
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今日の一曲
鋼の錬金術師OP「again」