最近、同い年の人と、
「どっちが年寄りに見える?」
という・・
まぁ、不毛な争いをした結果・・
どうやら私の方が爺に見える・・
ということがわかったのだが?????
いや・・・彼 ↑ も・・・
たいがい爺にしか見えんけど・・・
それもただの爺じゃなくて
頑固爺
にしか見えんのに・・・
そうか・・・端から見ると
私はもっと爺にみえるんか・・・
ん・・・ん・・・ん・・
まぁ、きっとやさしい爺に見えるはずだから、それはそれで良しとして・・・
なんにしても、
たしかに齢(よわい)50を過ぎたおっさんだし、世間から見れば爺の域に入っているのは間違い無い・・・
まぁ、あれだな・・・
結局・・同い年で「どっちが若く見える」なんて争いは誤差の範囲だな(笑)
それにしても、最近やたらと知り合いが死んでいく・・・
もう、そういうお年頃になったのだろう
そこで
人は何時死ぬのだろうか?
・・・と言うことを考えてみた。
言い換えると、
人の死とはどういうものなのだろうか?
その人の命の炎が消えた時に、その人は死んでしまうのだろうか?
物質としての人間の死は、まさしくその人の命が燃え尽きたときと言えるだろう。
しかし観念的には、その人の事を懐かしく思い出す人が全てこの世の中からいなくなってしまったときに、その人は死んでしまったと言えなくはないだろうか?
その人の意思であり、思いを引き継ぐ人がいる限り、その人はそれを想う人の心の中ではたしかに生きているのではないだろうか?
何やら話が脱線してしまったような気もしないでも無いが、もしも自分が死んでしまっても自分のことを懐かしく想う人や、その意思や思いを引き継ぐ人がいるのなら、今しばらく神様から現世に留まることも許されているのだとしたらちょっと嬉しいかな・・。
その為にも、今のこの一瞬一瞬を大切に生きていくことが大切なのじゃなかろうか・・・
よし!
ちょっとくらい爺に見えても大丈夫だ!!
・・全然悔しくなんかないぞ!!
まぁ、残された人生をゆっくりと愉しめるように、今日も元気に働くぜ~♪
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