はじめにお断りしておきますと、今日の話は全くの仮説です。
私はその道の専門家ではありませんので、もしかすると
「何て勝手な妄想なんだ??」
って思われるかもしれませんが、まぁ気にせず・・・
それでは本題です。
「人間は脳の1割程度しか使っていない」
という話をよく聞きませんか?
その真偽は置いといて
たとえば・・
「走る」という運動を考えた場合に、全力でどれくらい走れるか??
ということを考えると・・
せいぜい100m程度・・時間にして数十秒ってところに異論は無いと思います。
なんとなく思うに・・・
きっと脳も10割の力で脳を動かすことができたとしても、せいぜい数十秒・・いや・・実は脳の労働って思いっきりエネルギーを使うのでもっと短いかもしれません。
ん・・・
もしも全力疾走をず~っと続けることができたら人間の体はどうなるのでしょうか?
たぶん、直ぐに壊れてしまいそうな気がしませんか?
要するに、
つねに全力で機能を100%使うと生きものとしての寿命がドンドン短くなるんじゃないでしょうか?
こう考えると・・・
私たちの脳が普段その1割程度しか使えないということは・・
細く長~く生命を維持するために必要なことじゃないのか?・・と理解できるような気がします。
逆に考えると・・
脳の持つ能力が使われすぎることがないように、約1割程度しか使えないようにリミッターが働いているのだと考えられます。
スーパーサイヤ人
ところで・・・
「ドラゴンボール」っていう漫画をご存じの方も多いと思います。
その「ドラゴンボール」の中で、主人公の「孫悟空」は、「スーパーサイヤ人」という自分の能力を一時的に越えることができる力を手に入れます。
実は、私たち人間も「スーパーサイヤ人」には遠く及びませんが、ほんの一瞬なら自分の脳の能力を普段より少しだけ引き出すことができる・・・
要するに一時的に脳のリミッターが少し外れることがあります。
では、それはどんな場合に脳のリミッターが解除されるのでしょうか?
それは・・・
交通事故
です。
えっ??? 交通事故???
そうです。
私はこれまで交通事故で2回死にかけました。
1度目は、幼稚園のとき
2度目は、大人になってから
そのいずれの時もとても不思議な経験をしました。
走馬燈
人は死ぬ瞬間にこれまでの人生が走馬燈のように思い浮かぶ・・
という話を聞いたことがあると思います。
これは本当です。
大人になってからの交通事故の時には、たしかに走馬燈のようにソレまでの人生が想いだされました。
さすがに幼稚園の時に走馬燈のようにそれまでの人生が想い出された・・という記憶はありませんが(笑)・・
いずれにしても、両者に共通しているのは、
「アッ・・!!」と思った瞬間から時間がいきなり遅くなったことです。
自分が、まるでスローモーションの世界に放り込まれたかのように、時間がゆっくりと流れはじめました。
あ
あ・・
あぁ・・・
あぁぁ・・・・・
ぶ・・
ぶつ・・・・・
ぶつかる~・・・・・
グァッシャ~ン
衝撃を受けた後に、ゆっくり流れていた時間が今度は早送りされ、現実の時間へ戻されます。
もちろん実際に時間がゆっくりとなった訳でも早くなった訳ではありません。
これは脳がぶつかると思った瞬間にリミッターがハズれ、脳の処理速度が上がったことで現実の時間と脳の認識している時間とにズレが生じたからではないかという仮説を考えています。
脳のリミッターが外れて、時間がゆっくり感じた時に、それまでの人生が走馬燈のように想い出される・・・・
ここで一つ・・・
時間がゆっくりと感じるのなら、その間に衝突を回避する行動を取ればいいじゃないか??
という疑問が生まれます。
しかし・・・残念ながらほんの少しだけとはいえ、リミッターの外れた脳の指令に体はついて行けないのだと思います。
だから、
「あ~ぶつかる」と意識しながらぶつかっていく・・・という悲しい結果になります。
残念ながら脳の処理速度に体はついていくことができないために、結果的に交通事故を回避するなんらかの奇蹟が起こるという訳ではなさそうです。
もっとも
リミッターが外れるといっても、きっとせいぜい1%も上がるか上がらないか程度だとは思いますが・・・
まぁ・・
というわけで、
交通事故でお困りですか?
まぁ、何にしても・・・
交通事故には気をつけたいものです。
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