広島の大規模な土砂災害のニュースに限らず、テレビのニュース番組や情報報道番組などを見ていて何時も思うのだが、なぜ、被災者やその家族に無神経な質問ができるのだろうか?
その代表的なものが、被災者に対する、
「どんな気持ちですか?」
という質問
家が流されて命からがら助かった人へ「どんな気持ちですか?」
大切な家族や知人が被災された人へ「どんな気持ちですか?」
大切な家族や友人知人に命を落とされた人がいる人へ「どんな気持ちですか?」
なぜ、わかりきった事を聞くのだろうか?
どんな気持ちなのか、本当に聞かないとわからないのだろうか?
それを聞いてどうするのだろうか?
どうにも、お涙頂戴に持って行こうとする制作者側に意図を感じてしまう私がひねくれているのだろうか?
いい加減ああいう偽善にも劣るくだらない質問はやめたらどうだろうか?
ところで・・・
ある人(若しくは、ある事象)に対する正しい評価とはどういうものなのだろうか?
どんな聖人君子でも欠点を探せばきっと見つかるだろう。
完璧な人間など存在しないだろうし、裏を返せばどんな悪人でもどこかに良いところがあるのかもしれない。
同じ事を言っても・・同じ事をやっても・・100人いれば100人なりの受け止め方があって、それを賞賛する人もいれば、無関心な人や逆に反感を持つ人もいるわけで、結局・・ある人に対する評価というのは、人それぞれの考える相対的で、しかもある意味では感情的な評価でしか無いということか・・。
そうだとすると・・・
他人様が自分のことをどのように評価するのか?
・・なんて、周りの目を気にしすぎることには何の意味も無いということになるな・・
そういえば、「十人十色」と言いますが、パソコン上での表示できる色の種類は1677万色になるそうです。
それではリアルに存在する色の数はどれくらいあるのじゃろうか?
人間か見ることができる色は有限で、約187万5000色程度と言われていますが、目に見えない「赤外線」や「紫外線」まで考えれば、そして混ざり合う色や形などを考えると、恐らく理論的には無限に近い色があるのかもしれませんね。
・・無限に近い色々な色・・・
自分自身の色とはどんな色なのだろうか?
人として職業人として羞じることの無い生き方をしている限り、後は相対的で他人様の感情的で相対的な評価などを気にする暇があれば、自分自身が正しいと考える自分を練り上げて作り込むことの方が大切だと言うことか・・・
ん・・・もっとも、その作り上げた色でさえも、時とともに変化していくものなのかもしれないな・・
まぁ・・気楽にいくか~
※ ・・と言うわけで、ああ言う偽善にも劣る報道も見たいと思う人もいるのでしょうかね・・私には全く理解できませんが・・・