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高峰司法書士事務所

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色

2014年8月25日 By 高峰博文

色広島の大規模な土砂災害のニュースに限らず、テレビのニュース番組や情報報道番組などを見ていて何時も思うのだが、なぜ、被災者やその家族に無神経な質問ができるのだろうか?

その代表的なものが、被災者に対する、

「どんな気持ちですか?」

という質問



家が流されて命からがら助かった人へ「どんな気持ちですか?」

大切な家族や知人が被災された人へ「どんな気持ちですか?」

大切な家族や友人知人に命を落とされた人がいる人へ「どんな気持ちですか?」

なぜ、わかりきった事を聞くのだろうか?

どんな気持ちなのか、本当に聞かないとわからないのだろうか?

それを聞いてどうするのだろうか?

どうにも、お涙頂戴に持って行こうとする制作者側に意図を感じてしまう私がひねくれているのだろうか?

いい加減ああいう偽善にも劣るくだらない質問はやめたらどうだろうか?

ところで・・・

ある人(若しくは、ある事象)に対する正しい評価とはどういうものなのだろうか?

どんな聖人君子でも欠点を探せばきっと見つかるだろう。

完璧な人間など存在しないだろうし、裏を返せばどんな悪人でもどこかに良いところがあるのかもしれない。

同じ事を言っても・・同じ事をやっても・・100人いれば100人なりの受け止め方があって、それを賞賛する人もいれば、無関心な人や逆に反感を持つ人もいるわけで、結局・・ある人に対する評価というのは、人それぞれの考える相対的で、しかもある意味では感情的な評価でしか無いということか・・。

そうだとすると・・・

他人様が自分のことをどのように評価するのか?

・・なんて、周りの目を気にしすぎることには何の意味も無いということになるな・・

そういえば、「十人十色」と言いますが、パソコン上での表示できる色の種類は1677万色になるそうです。

それではリアルに存在する色の数はどれくらいあるのじゃろうか?

人間か見ることができる色は有限で、約187万5000色程度と言われていますが、目に見えない「赤外線」や「紫外線」まで考えれば、そして混ざり合う色や形などを考えると、恐らく理論的には無限に近い色があるのかもしれませんね。

・・無限に近い色々な色・・・

自分自身の色とはどんな色なのだろうか?

人として職業人として羞じることの無い生き方をしている限り、後は相対的で他人様の感情的で相対的な評価などを気にする暇があれば、自分自身が正しいと考える自分を練り上げて作り込むことの方が大切だと言うことか・・・

ん・・・もっとも、その作り上げた色でさえも、時とともに変化していくものなのかもしれないな・・

まぁ・・気楽にいくか~

※ ・・と言うわけで、ああ言う偽善にも劣る報道も見たいと思う人もいるのでしょうかね・・私には全く理解できませんが・・・

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Filed Under: よもやま話

夢の夜

2014年8月22日 By 高峰博文

新しい自分発見自分に正直に生きることは厳しいけれど、素晴らしいことだと思います。

少し前の話ですが、仕事で東京に行く用事がありまして、ついでに東京を愉しんでいたわけです。

その時に一緒になった人に連れられて、ついに新宿 ○ 丁目に足を踏み入れることとなりました。


もちろん! 目指すは、

夢の国「おねぇ」だ~

どうみても女性にしか見えない綺麗どころから、どう見てもおっさんのおねぇが、それぞれの立ち位置で、それぞれの役割をこなしています。

まぁ・・

お話をしていると、おねぇ独特のドスのきいた低音の声の人も多いようだが、よくよく話を聞いていると店では意識的にそういう声をだしているそうで、細かな気の使い方など、そこのお店はしっかりとしてました。

いずれにしても、私・・・
初体験の夢の国に、なんや舞い上がってしまい、男相手にドキドキでした ♪

プロフェッショナル

とはいえ、まぁ話をしていると、やっぱり普通におかまさんなのだが、ショータイムが始まると、一変!

いや~驚いた・・彼・・いやいや彼女たちは、プロだわ・・下手な女より女だった・・

ん・・・自分自身を振り返って・・・まだまだ出来ることがあるんじゃないかと、反省しました・・・

不肖、高峰!

東京の一夜に、自分に正直に生きることの

「厳しさ」と

「素晴らしさ」

を学んだのよ♬

挑戦

東京の一夜・・・夜の蝶たちから学んだ

「自分らしく生きること」

今日から、新しい司法書士像を発見する旅に出かけます。

※注)高峰は、ノーマルです
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Filed Under: よもやま話

予知能力

2014年8月21日 By 高峰博文

未来予知私には未来が見えます。

それは今から、約2年ほど前のことです。

仕事を終えて、鼻歌交じりに車を運転しながら家に帰る途中に、

突然!! 凄い「ブログネタ」が頭に浮かびました。

まるで神からの啓示のようなこんなに凄い「ブログネタ」は,そうそう思いつくものではありません。

しかしながら、車を運転中だったため、当然メモを取ることもできず・・・

でもこんなに凄い「ブログネタ」を忘れるわけが無い・・・

と考えながら・・・そのまま家にかえりました。

当然のように、

家に帰ると、「凄いブログネタ」のことを忘れており・・・

寝る直前に突然「凄いネタが天から降りてきた」という事を思いだしました。

しかしとても眠たかったので

「まぁ明日内容を思い出せばいいや・・こんな凄いネタを忘れる訳が無い」

と思いながら・・ウトウトと・・・そのまま眠りに落ちていきました。

翌朝、目が覚めてすぐに

「昨日は凄い「ブログネタ」が浮かんだな~」

と記憶を呼び覚ましてみたところ

あ・・・・・あれっ・・???・・・

何を思いついたのだったっけ??????

忘れた! 

凄いネタが天から舞い降りてきたことは覚えていたのですが、肝心のその内容を思い出せません。

 

でも「あんな凄いネタだから、そのうちきっと想い出すさ」と考え、バタバタと仕事に出かけ・・

バタバタと働いて・・

「凄いブログネタ」のことを完全に忘れていました。

その日の夜、「さてお風呂に入ろう」と服を脱いだその時に再び・・

「そうそう凄いブログネタ・・何やったっけ??・・」

と頭に浮かびました。

とりあえず,近くにあったiPADに,そのことを走り書きをして

「まぁとりあえずお風呂に入らな・・」

ということで、お風呂にはいったのですが、その日は疲れてそのまま寝てしまいました。

そして昨日・・・

「明日のブログは何を書こうかな?」

と考えていたのですが、

「来週月曜日(平成26年8月25日)の従業員への給与の支払いの予定がたっていない」

ことしか浮かびません。

そんな悲しい現実から目を背けるために、iPadで遊んでいました。

何気なく、iPadのメモ帳ソフトを起動してみると、題名に「凄いブログネタ」という文書があることに気が付きました。

「おっ??」

そういえば・・・

たしか・・・2年ほど前に、凄いブログネタを思いついたこと、その時は時間が無くて、ブログにできなかったことを昨日の事の様に想い出しました。

給料の支払いのことは忘れて、

「確かあの時に、iPadに記録を残していたよな~」

と鼻歌交じりに、メモの内容を確認すると・・・

「すごいブログネタ忘れた。 きっと忘れたことも忘れているかもね」

って書いてありました。

た・・たしかに・・今のいままで、忘れたことを忘れていました・・・

自分の頭の中では,iPadに「凄いネタ」を記録したと勝手に思っていましたが・・・

・・・我ながら何てくだらないことを・・orz・・・・

教訓

いや~やはりアレですね。

今日できることは今日やらないと駄目

ですね・・反省してます。

またその内に「凄いブログネタ」が天から降りてきたら,その時は忘れずにメモします。

などと・・反省したことを忘れたりしてね(笑 ← これも未来予知です。)・・

忘れてはいけないもの

ところで「忘れたことを忘れる」と、

この忘れた事実は初めから無かったこととなりますね。

「誰かに何かをしてあげた」ことは忘れませんが、

逆に、

「誰かに何かをしてもらった」ことは忘れがちです。

人様から受けた恩を忘れずに

しっかりとまっすぐに生きていこうと考えた事件でした。

※ 追伸

心配されていた平成26年8月25日の従業員への給与の支払いですが、急なお仕事を頂きまして何とかなりそうです。
綱渡りの人生ですが、綱から落ちないように今後とも宜しく御願い致します。

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Filed Under: よもやま話

終戦記念日と殺人

2014年8月15日 By 高峰博文

どうして人が人を殺しちゃいけないの?

今日の朝方に見た夢・・・

朝っぱらからこんな夢を見ました。

あなたは、素朴な子どもの疑問に、答えることができるだろうか?

まぁ、この質問の答えは「一つしかない」ということは無いと思いますが、私なりの答えを綴ってみました。


    子どもが母親に、
    「人はどうして人を殺してはいけないの?」
    と尋ねている・・

    「それは・・人を殺すことは悪い事だからよ」
    と母は答えた。

    そうすると子どもから
    「なぜ人を殺すことが悪い事なの?」
    という質問が返ってくる・・・

    「それじゃ、貴方が殺されることは良いことなの?」

    と答えた母に対して、子どもが

    「私は殺されたく無いわよ・・でも、お母さんずるい・・・私が聞いているのは私が殺されることが良いことなのか悪いことなのかを聞いているのでは無く、どうして人が人を殺すことが悪いことなのか?・・を聞いているのよ」

    と答えた・・・・。

何て小憎たらしいませガキだ・・などと思いながらも、

なぜ人が人を殺すことが悪いことなのだろうか・・

ということを考えている夢だ

疑問

勿論、

人が人を殺すことは悪いことだ!

おそらく、これを読んでくれている あなた もそう考えているだろう?

問題は何故そういうふうに考えるのか・・という疑問です。

法律で決められているからだろうか?

そうだとすると、
法律で殺人が認められていれば、殺人も悪い事ではない
のだろうか?

違うな・・・

そんなことで殺人が悪い事じゃ無いと思えるほど軽いことじゃないな・・

じゃ・・

殺人が許されるとしたら、何時自分自身が殺されるかがわからないから、自分が殺されないためには、殺人はしてはいけない

と考えているのだろうか?

そうだとすると、

それの真逆の状態・・・

つまり・・相手を殺さないと、何時自分が殺されるかわからない、また殺人自体が罪に問われないのが

戦争

ということか・・・

んんん・・・法律で禁止しているからという理由だけよりも説得力はあるようだが、それでも何か足りない・・というかおかしいと思う・・・

詭弁の正義

思うに・・・

誰かを殺すということは、その人を殺すということに留まらず、その人の周りにいる人も傷つけることにならないか・・

そうだとすると、そういう負の連鎖に想いがいたらない・・・

つまり・・・

想像力の欠如も人が人を殺す要因の一つ

だろうか・・・

そうか!

もしかすると・・そういう外的な要因で「殺人」を行わないのではなく、

実は内的な要因

なのではないだろうか?

つまり、

現実にほとんどの人が「人を殺す」ことをしないのは、

誰かを殺すこととで究極的には自分自身の心が傷つく

からじゃないだろうか?

しかし、こう考えると・・・・・

自分の事が大切と考えない人間は、誰かを殺すことのハードルも低くなる

ということになるか?

ん~・・・・

人はどうして人を殺してはいけないの?

それでも、この質問に対する答えとしては

「誰かを殺すことは、自分自身を殺すこと・・つまり自分自身(の心)を傷つける行為に他ならない・・だから誰かを殺すようなことはしてはいけない」

と考えるのが今のところ一番納得できるような気がする。

この「他人を殺すことによって自分の心が傷つく」という事は、きっと「戦争」というある種の異常な極限状態であっても何ら変わるところはないと思う。

たとえ戦争であっても、人を殺すことで、いかに人を傷つけることになるのかを考えると、つくづく戦争なんぞするもんじゃ無いと考えます。

ありがたいことに、生まれてこのかた戦争とは無縁の生活を送らせてもらっている。

だから、想像でしかないけれど・・・

もしも「戦争」で否応なく殺し合いをしなければならないとするならば、少なくとも自分自身にとっての、
「正義」(他人を殺すことを正当化して、自分自身が人を殺したという行為を正当化するための正義という意味)が必要になってくるのではないだろうか?

もっともこの「正義」というもの、
絶対的な正義などではなく
双方にとってそれぞれが信じる異なる正義であることは言うまでもありませんが・・

しかし、どんなお題目をつけた正義であっても、それはかりそめの正義でしかないハズであり、このかりそめの正義・・つまりは

詭弁の正義・・

でしかないはずだ。

たとえ、それが戦争という非日常的な状況で行ったことであっても「人を殺した」という行為が、その人の心を傷つけないはずはないと思いますが・・・

次第に、母親が考えているのか?・・・夢を見ている自分自身が考えているのか?・・・よくわからない状態のときに、誰かの声が聞こえた。

「その答えは人が・・」

・・・もう少しで答えが聞ける・・・というところで、場面が変わって・・目が覚めちゃった。

託された者として

今日は、大東亜戦争の終戦記念日です。

戦後69年が経過した今を生きる私たちは、かの大戦で、祖国の為に戦った名もなき人々と、命をなくされた戦没者が、夢にみた未来を作れているのでしょうか?

そして、戦争をしない為に、今なすべきとこととは・・できることとは何でしょうか?

もしも、
「誰かを殺すことは、自分自身を殺すこと・・つまり自分自身(の心)を傷つける行為に他ならない・・だから誰かを殺すようなことはしてはいけない」
ということが、人が人を殺してはいけない理由の一つになるとしたなら、これから育つ子どもたちが「自分を大切にできる」そして「他人を大切にできる」ような教育なり、社会環境の整備が必要なのではないだろうか?

今日の日本と家族の平和に感謝します。

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ひぐらしの糞爺

2014年8月13日 By 高峰博文

sp

エージング

スピーカーには「エージング」という作業が、必要らしい

実際に音を出した時間が少ない新しいスピーカーは、スピーカーの稼働部分であるコーンとフレームとを繋げている「エッジ」部分・・サスペンション部分とも呼ばれますが、その部分が固いといわれています。

オーディオマニアの間では、それがスピーカーを使い込むことによって徐々に柔らかくなっていき、スピーカー本来の持つ性能が発揮できるようになると言われています。

「エージング」・・・まぁ、車でいうところの「慣らし運転」・・と考えて頂いても間違いではと思いますが・・・

このエージングによって改善されるのは、何も「エッジ」だけということでは無く、コーン部分も場合によっては、コイル部分でさえ材料によっては、経年変化しています。

一般的にエージングによって、音は枯れて柔らかくなっていき、角の取れたふくよかで表現力豊かな音に変化すると考えられていますが、もしかすると誤差の範囲内なのかもしれません・・・。

人によっては、そんなものは必要無いという人もいるし、たしかにそこに差があるとしても微々たるものかもしれませんが、この微々たる差が、実は大切なんじゃないでしょうか?

しかし

エージングによって本来のパフォーマンスが発揮できるようになったとしても、何時までもその状態が維持出来るわけではなく、山を登り切った後は、いつか山を降りなければならない(経年変化によって今度はパフォーマンスが落ちてくる)時期がやってきます。

スピーカーに限らず、人間だって時間をかけて使い込んでこそでる味があるはずですが、人もスピーカーも時間をかけて、愛情を注いでこそ、その真価を発揮することができるようになるのかもしれません。

共通する問題は、一番おいしい時間ってそれほど長くもないということでしょうか?

糞爺

今日からお盆休みのところが多いのか、街が静かです。

聞こえてくるのは、蜩(ひぐらし)の鳴く声と扇風機の風の音

お盆(のせい?)ということもあるのでしょうか?

仕事は開店休業中なので、幸い(?)色々な事を考える時間はたっっぷりとあります。

私も生まれて半世紀を過ぎ、人生のおいしい時間のピークを超えて、後は下っていくだけなのかもしれませんが、人の一生はスピーカーの一生ほど単純ではなく、人が登るべき山は「一つ」と言う訳でもないようです。

一つの山をくだりながら、次に登る山の頂きを目指します。

まぁ、目指すは

「かっこよくて、可愛い糞爺」

蜩のように残された人生を謳歌するために、

そして・・・その日暮らしに陥らないように・・

まだまだ、かっこ悪くあがきます。

Filed Under: よもやま話

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